鉄の女
今週初めの8日の、19世紀以降のイギリスで最長の連続政権を担っていたマーガレット・サッチャー元首相がなくなりました。
その歯に衣を着せぬ物言いや貫き通す正確から「鉄の女」と呼ばれていますが、実はこれは旧ソ連の機関紙がサッチャー氏を非難するために使い始めたのが始まり。
それを本人が気に行ったこと、他のメディアもこぞって使ったことから定着したのです。
でも、鉄の女と称されるサッチャー氏ですが、首相になるかもしれない、首相になったらメディアに対しての露出が増えるだろうとわかった時には、主に食事制限を用いたダイエットで2週間で9キロも落とすなどかわいらしい一面もあるんですよ!
経済や政治家としてのイメージが強いサッチャー元首相ですが、オックスフォード大学で勉強したのは化学。コロイド化学が専門で卒業後は研究者の道を歩んだ時期もありました。
しかし、まったく政経系に興味がなかったわけではなく、むしろ大学大学中から、後のサッチャリスムと呼ばれる新自由主義的な経済改革の根源をフリードリヒ・ハイエクの経済学から学んでいました。
大学を訪問中のサッチャー元首相(中央) |
初めて立候補した下院選では落選するものの、その後デニス・サッチャー氏と結婚したからは法律学を学ぶようになります。
そして、なんと!勉強を初めて2年で弁護士資格を取得します。
(鉄の女と称されるあの意志の強さが為す技なのでしょうか・・)
そして1959年に下院議会に初当選!
その後は教育科学相を経て保守党党首、イギリス首相まで上り詰めます。
教育科学相の時には教育関連の予算の削減を求められ、無償提供していた牛乳を廃止したことで、国民に‘ミルク泥棒’と非難されたこともありました。
フォークランド紛争で、アルゼンチンがフォークランドに軍を派遣するや否やイギリス軍の艦隊・爆撃機を投入して、アルゼンチン軍を放逐し、毅然とした態度で
「犠牲を払おうとも、イギリス領を守る」
「私たちは決して後戻りはしない」
「領土奪還を嬉しく思い、我がイギリス軍をたたえない」
とコメントことは国民の協賛を呼び、当時下がりつつあった支持率を多いに回復させました。
アイルランド共和国軍による殺人未遂事件もありました。
中国に対し、「国民の人権をもっと大切にしなくては駄目だ」と国際会議の場でストレートに表現したこともありました。
そしてサッチャー氏の政治人生を語る上で外せないのが、イギリス経済回復のために行った大改革。
イギリスは第二次世界大戦後、「ゆりかごから墓場まで」という労働党のスローガンのもと手厚い社会保障がなされていました。イギリスの社会福祉サービスは国民全員が無料で医療サービスを受けられる国民保健サービスと国民全員が加入する国民保険を基幹とし、この形は多くの国が真似をしていました。
しかし、その手厚い保護が莫大な財政支出を必要とし、更に基幹産業の国有化、国民の勤労意識の低下などの英国病による税収の伸び悩みで更に国家財政は圧迫されていました。
サッチャーは大きな政府から小さな政府の転換を図ることで財政を健全化させようとしたました。
ガス、石油、通信、水道事業などこれまで国有企業の独占市場だったものを強力に民営化、金融の規制緩和、自由主義経済の取り入れなどで疲弊したイギリスの経済を立て直ししました。
もちろん、改革に痛みはつきもの。サッチャー氏が行った改革では多くの失業者が生まれました。
一部製造業がメインだった地域ではサービス主導型経済への構造転換に苦労しました。さらに医療制度は機能不全に陥りました。
しかし、1997年に保守党から政権を奪った労働党のトニー・ブレア元首相は
「サッチャー氏は自国の政治勢力図だけでなく世界のを変える数少ない政治家の一人。世界に与えた影響は大きく、元首相がイギリスにもたらした変化の少なくとも一部は労働党政権にも引き継がれ、全世界の政府にも採用される。」と評価しました。
盟友のレーガン氏とサッチャー氏 |
さらに東西冷戦終焉の立役者。これは盟友で親友と自他ともに認めるアメリカのロナルド・レーガン元大統領と一緒に中心になって反共主義の旗手をとり、後にペレストロイカ・グラスノスチで旧ソ連を崩壊させたゴルバチョフ元総書記がまだトップに立つ前から彼と対話し、冷戦の終結に影響を与えたことから立役者と呼ばれるようになりました。
ゴルバチョフ元総書記は
「われわれと西側諸国の対話の雰囲気を変え、東西冷戦の終焉に貢献した」とサッチャー氏を評価しています。
他にもサッチャー氏は様々な改革、政策をイギリスに施し、1992年には一代貴族として男爵位を受爵し、貴族院議員になっています。
さらに、1995年には1348年にエドワード3世によって創始された最高勲章であるガーター勲章も受けています。2007ねんには在生中の元首相として初めてイギリス国会議事堂内に銅像が建てられました。
(このときは「私は鉄の女だから、鉄像になるかと思ったわ。でも銅像もいいわね、さびないから。」と発言し、みなさんの笑いを誘っていましたね。)
その大胆な政策、強硬な政治方針と信念でイギリス経済を財政赤字から救出し、立て直した救世主として評価される一方で、彼女が施行した政策の負の遺産を持って批判する人もいます。
みなさんはどちらの立場でしょうか?
なにはともあれ、サッチャー氏は偉大なリーダーで、政治家で、イギリスだけでなく世界に大きな影響を与えた人には違いありません。当時では考えられなかった女性の国家リーダーという役職をイギリス史上もっとも長い11年間もやってのけ、その後の女性の社会進出に貢献したことも間違いありません。
心よりご冥福をお祈りします。